◆本も時代とともに古びる、ということ◆
講演会のあとの交流会でひこ先生がおっしゃっていた言葉で印象に残ったのが「自分が子どものころに読んで気に入った本だからと言って、自分の子どもや、孫に読ませようとするのは絶対止めてください」ということ。
確かに名作と言われ、長く読み継がれる作品もあるけれど、「20年も30年も前の価値観で描かれた物語を押し付けられる子どもたちはたまったもんじゃない」とのことです。
言われてみれば、時代は刻々と移り変わり、子どもたちを取り巻く環境はどんどん変化しています。
児童文学もまた、読んだ子どもたちにいろんなメッセージを送るために、その時代、その時代の子どもたちを描いているのですね。
「これはお母さんが好きだった本よ」という程度で紹介するのはいいけれど、けっして無理強いしてはいけない、とおっしゃっていました。
もっとも、私の場合は、新しい本を読むのに忙しくて、昔の本を懐かしむ時間もありません。
一時期「赤毛のアン」を読み返したりしてみたのですが・・・やっぱり、今出ている本を先に読みたくて、結局、途中で挫折してしまいました。
あんなに好きだった本でさえ、こんなありさまなのだから、そりゃ、今の子どもたちが読むのは、無理ですね(^^;)。
たとえば「赤毛のアン」を子どもに薦めたいなら、自分が大事にしてきた本そのものではなく、今、新刊として発売されている「赤毛のアン」を薦める、とかいうのなら、まだなんとかなるかな・・・と私は思います。
以前に読んだ赤木かんこさんの本に「本も時代とともに古くなるから、読まれなくなった作品も翻訳や挿絵、装丁を変えれば、子どもたちも手に取りやすくなる」というようなことが書かれていました。
もちろん、どんな作品でもOKというわけじゃなくて、内容がまず優先されることは当然ですが。
「本」というのは、中に書かれた内容と、挿絵、装丁なども全部含めて、ひとつの作品なんですねー。
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ところで、講演会当日、私は予約しておいた本を4冊借り出したのですが、その中の1冊、鮎川哲也さんの『ブロンズの使者(トクマノベルズ)』は、実は私が本当に借りたかった本ではありませんでした。
確かに『ブロンズの使者』の予約を出したのだけど、わざわざ予約用紙に「創元推理文庫版」と記入したのに、あっさり無視されて、書庫から引っぱりだされた徳間書店版を渡されてしまったのです。
本が古いこと事態は別に苦にはならないのですが・・・ページをめくるなり「げ!」となりました。
字が詰まり過ぎてる・・・。頭痛くなりそう・・・。
まあ、それでも、私は大人だし、やっぱりこの作品が読みたいので、借り出したこの本を読みますが、子どもはそうはいかないだろう、と、あらためて実感しました。
古い本はやはり「古い」のです。
活字の大きさも、組み方も違う。
本好きの私でさえこんなありさまなのだから、子どもに強要するのは拷問に近いかも(^^;)。
それでも、残っていく本、残っていく作品は確かにあるし、だからこそすごいことなのかな、とも思いました。
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